2011年12月12日
Battle int the Forest
今年は暖冬だなーなんて気を緩めていると、いきなりの冷え込み。

この日は野外でのゲームとなりました。
ニッケル水素のバッテリーは、寒さの中で心許無い・・・と痛感。この日、山間部では早朝の気温がマイナス3度。ゲーム開始した時間帯でも2度ほどだったので吐息も真っ白です。

予備で持ち込んだSOPMOD M4用バッテリーは3本。いずれも9.6V仕様へとカスタムしています。
寒さに弱いと言われるニッケル水素バッテリーですが、3本の内、2本が殆どまともに使えない状況でした。うーん、ちゃんと前日の夜に充電してたのに・・・。寿命なのかな。
この日、最もおいしい チャーンス!! 到来の瞬間に痛恨のバッテリー切れ。かろうじて最後の力を振り絞って回転したモーターは数発のBB弾を発射、敵チームの斥候部隊を捉えて2ヒットを獲得。うーん・・・オシイ!! 斥候隊は4名居たのに、残念。

膠着したゲームを打開すべく、フル装備にもかかわらず捨て身の全力疾走。いやー、ホントっキツイですね。たったの十数メートル走っただけで息が切れて、挙句の果てにゲロ吐きそう・・・。

タクトレ(ゴッコ・・・)がマイブームとなっていた期間が長かったせいか、ソフトシェルが幾着かあるだけで、ふと部屋の中のマイ・コレクションを見渡してみると、意外にミリタリーテイストの冬用アウターがありません。
兵站部門の責任者(嫁・・・)との交渉で、暖かなアウターの選定が急務です。

森の中でのゲームですと、急に開けた場所や、逆にいきなりの接近した交戦があって楽しいです。
エルカン・スペクターDR だと、本体を4倍率にスイングさせておき、上に載せたITI MRDS の等倍率にしておくことで、ターゲットに対する視線を小さく上下へ切り替えるだけで、使い分けることができて便利です。

ただし、重たいのが難点ですが・・・。そこは愛情でカバーですね。

この日は野外でのゲームとなりました。
ニッケル水素のバッテリーは、寒さの中で心許無い・・・と痛感。この日、山間部では早朝の気温がマイナス3度。ゲーム開始した時間帯でも2度ほどだったので吐息も真っ白です。

予備で持ち込んだSOPMOD M4用バッテリーは3本。いずれも9.6V仕様へとカスタムしています。
寒さに弱いと言われるニッケル水素バッテリーですが、3本の内、2本が殆どまともに使えない状況でした。うーん、ちゃんと前日の夜に充電してたのに・・・。寿命なのかな。
この日、最もおいしい チャーンス!! 到来の瞬間に痛恨のバッテリー切れ。かろうじて最後の力を振り絞って回転したモーターは数発のBB弾を発射、敵チームの斥候部隊を捉えて2ヒットを獲得。うーん・・・オシイ!! 斥候隊は4名居たのに、残念。

膠着したゲームを打開すべく、フル装備にもかかわらず捨て身の全力疾走。いやー、ホントっキツイですね。たったの十数メートル走っただけで息が切れて、挙句の果てにゲロ吐きそう・・・。

タクトレ(ゴッコ・・・)がマイブームとなっていた期間が長かったせいか、ソフトシェルが幾着かあるだけで、ふと部屋の中のマイ・コレクションを見渡してみると、意外にミリタリーテイストの冬用アウターがありません。
兵站部門の責任者(嫁・・・)との交渉で、暖かなアウターの選定が急務です。

森の中でのゲームですと、急に開けた場所や、逆にいきなりの接近した交戦があって楽しいです。
エルカン・スペクターDR だと、本体を4倍率にスイングさせておき、上に載せたITI MRDS の等倍率にしておくことで、ターゲットに対する視線を小さく上下へ切り替えるだけで、使い分けることができて便利です。

ただし、重たいのが難点ですが・・・。そこは愛情でカバーですね。
2011年12月05日
Night Ops
例年に無く暖かい冬ですね、今年は。つい先日も、通勤電車の中で蚊に刺されました。もう12月に入るというのに、まだ蚊がいるくらいに暖かいって・・・。
暖冬の傾向で、夜戦なんてのも面白いかも!? ということで、先日、夜戦のお誘いを受けて数年振りのナイトゲームへ行って来ました。

夜戦ともなると、想像以上に意外なくらいの接近した撃ち合いもあり得るので、防護はキッチリとしておきたいところ。
普段のデイゲームでは、サングラスタイプのアイウェアのみで顔回りの防御を済ませていますが、今回はこのスカル・マスクを用意しました。
これ、中々にスグレモノです。至ってシンプルな金属メッシュのハーフタイプ・マスクですが、メッシュ故に呼気が篭らずゴーグルを曇らせることも無く、そして息苦しさも皆無です。
メッシュと言えば、昔からサンセイのゴーグルなんてのもありますが、今でこそパワー規制されたエアガンなので、そうそう起こることも無い、被弾時にBB弾の破片による目への危険性なんてのも言われていたことがありましたね。
でもこのハーフマスクであれば、あくまでも口を守る、と言うよりももっと限定した言い方をすれば、「前歯を守る」為のものと言っても過言じゃないくらいに、目的意識を持って手に入れたので、目の保護の時のようなリスクもありません。

そしてこのデザイン性。
2年程前でしたか、SEALsの隊員だか何だか特殊部隊の人がガイコツのマスクをしているとか何とか・・・で急に流行りましたね。
ま、その経緯はさて置き、不気味な雰囲気のガイコツの絵柄は、ミリタリーのシーンで何となくピッタリ来ます。
うーん、個人的にはこれに更に、白の塗装が蛍光色か蓄光タイプのものだと面白いかも?! あ、目立ち過ぎて敬遠されるかな・・・。
また懸念していた頬付けも特に気になることが無いくらいに、ピタッと引っ付けても大丈夫。もし気になったとしても金属製メッシュなので、叩いたり押したりすれば、自分のフェイスラインに合わせて変形させることができます。

そしてこのいつも愛用している東京マルイ製の次世代M4 SOPMOD も、接近戦での被弾を警戒して、普段あまり組み合わせることの無いAimpoint Comp M4 を搭載しました。その理由は至って簡単で、キルフラッシュが付いているもので手持ちの光学機器だったから・・・。
でも取り付けてみると、LaRue のマウントのお陰か、想像していた以上に悪くない雰囲気にまとまりました。
また、いつもはライトをITI M3X にしているのですが、今回はより実用的に良さそうなSUREFIRE X300 をチョイス。なんだかんだでライトはやっぱりシュアファイアが好きです。

件のスカル・メッシュハーフマスクと一緒にエチゴヤさんで購入した、ARC'TERYX ( アークテリクス )のCLASSIC BEANIE TOQUEというニット帽に、OAKLEY ASSAULT A-FLAME GOGGLE w/ファンという組み合わせ。
●ARC'TERYX ( アークテリクス ) CLASSIC BEANIE TOQUE
アークテリクスCLASSIC BEANIE TOQUEは、マグプル・ダイナミックスのDVDでクリス・コスタ氏が愛用していたことでも有名ですが、さすがにGoodな出来栄えです。ただニット帽を造るのではなく、アウトドア最高級ブランドのアークテリクスが手掛けるだけあって、一工夫付け加えて製品化していると感じます。これについてはまた後日、写真と共に掲載してみたいと思います。

メッシュマスクと、オークリーの曇らないゴーグルのお陰で、視界良好。
レーザーの軌跡は画像加工で作った偽りの状態です。

寒さに弱いと言われるニッケル水素バッテリーを使っての射撃でしたが、全く問題なくキビキビと快適に回転してくれました。



そしてこちらは、沖縄からの放出品とのことでファーストさんで売られていたレンジャーグリーンのポーチ。

ダブルのポケットで、ゴーグル2個が余裕の収納。
いつも決まってゲームの時は2個以上のアイウェアを持ち込む私にはちょうど良いサイズ感です。
Foliage Green の小さなポーチは、今となってはあまり見掛ける事の無くなったOriginal SOE製のバッテリーポーチ。

中のコンパートメント部分には、メッシュの仕切りがあり、ちょっとした小物を分別しておくこともできます。

こちらがOriginal SOE製のバッテリーポーチ。エラスティックバンドの特性を活かして、ポーチ内部にバッテリーホルダーを用意しています。CR123Aバッテリーを使用する機会が多い夜戦だけに、予備バッテリーは必須。
そういえば、シュアファイア純正のSF123Aは、今年に入ってからデザイン一新、リニューアルしていますね。先日ミリブロNewsで紹介されていたSF123A関連の記事に、その様子が分かる映像が掲載されていました。
●SUREFIRE、SF123Aバッテリーに関する解説映像公開

今回投稿した記事は、今年春に新調したコンパクトカメラで撮影したものなのですが、それにしても、最近のコンパクトカメラはスゴイですねー。夜なんかのように、光量が少なく、設定が面倒で写すのが難しいような状況下でも、全てオート設定でピシャリと撮れてしまうんですもんね。
あー、こうやってゲームに行くとサバゲー熱というか、物欲が刺激されてしまいます。久々に欲しいものリストを更新中です。
暖冬の傾向で、夜戦なんてのも面白いかも!? ということで、先日、夜戦のお誘いを受けて数年振りのナイトゲームへ行って来ました。

夜戦ともなると、想像以上に意外なくらいの接近した撃ち合いもあり得るので、防護はキッチリとしておきたいところ。
普段のデイゲームでは、サングラスタイプのアイウェアのみで顔回りの防御を済ませていますが、今回はこのスカル・マスクを用意しました。
これ、中々にスグレモノです。至ってシンプルな金属メッシュのハーフタイプ・マスクですが、メッシュ故に呼気が篭らずゴーグルを曇らせることも無く、そして息苦しさも皆無です。
メッシュと言えば、昔からサンセイのゴーグルなんてのもありますが、今でこそパワー規制されたエアガンなので、そうそう起こることも無い、被弾時にBB弾の破片による目への危険性なんてのも言われていたことがありましたね。
でもこのハーフマスクであれば、あくまでも口を守る、と言うよりももっと限定した言い方をすれば、「前歯を守る」為のものと言っても過言じゃないくらいに、目的意識を持って手に入れたので、目の保護の時のようなリスクもありません。

そしてこのデザイン性。
2年程前でしたか、SEALsの隊員だか何だか特殊部隊の人がガイコツのマスクをしているとか何とか・・・で急に流行りましたね。
ま、その経緯はさて置き、不気味な雰囲気のガイコツの絵柄は、ミリタリーのシーンで何となくピッタリ来ます。
うーん、個人的にはこれに更に、白の塗装が蛍光色か蓄光タイプのものだと面白いかも?! あ、目立ち過ぎて敬遠されるかな・・・。
また懸念していた頬付けも特に気になることが無いくらいに、ピタッと引っ付けても大丈夫。もし気になったとしても金属製メッシュなので、叩いたり押したりすれば、自分のフェイスラインに合わせて変形させることができます。

そしてこのいつも愛用している東京マルイ製の次世代M4 SOPMOD も、接近戦での被弾を警戒して、普段あまり組み合わせることの無いAimpoint Comp M4 を搭載しました。その理由は至って簡単で、キルフラッシュが付いているもので手持ちの光学機器だったから・・・。
でも取り付けてみると、LaRue のマウントのお陰か、想像していた以上に悪くない雰囲気にまとまりました。
また、いつもはライトをITI M3X にしているのですが、今回はより実用的に良さそうなSUREFIRE X300 をチョイス。なんだかんだでライトはやっぱりシュアファイアが好きです。

件のスカル・メッシュハーフマスクと一緒にエチゴヤさんで購入した、ARC'TERYX ( アークテリクス )のCLASSIC BEANIE TOQUEというニット帽に、OAKLEY ASSAULT A-FLAME GOGGLE w/ファンという組み合わせ。
●ARC'TERYX ( アークテリクス ) CLASSIC BEANIE TOQUE
アークテリクスCLASSIC BEANIE TOQUEは、マグプル・ダイナミックスのDVDでクリス・コスタ氏が愛用していたことでも有名ですが、さすがにGoodな出来栄えです。ただニット帽を造るのではなく、アウトドア最高級ブランドのアークテリクスが手掛けるだけあって、一工夫付け加えて製品化していると感じます。これについてはまた後日、写真と共に掲載してみたいと思います。

メッシュマスクと、オークリーの曇らないゴーグルのお陰で、視界良好。
レーザーの軌跡は画像加工で作った偽りの状態です。

寒さに弱いと言われるニッケル水素バッテリーを使っての射撃でしたが、全く問題なくキビキビと快適に回転してくれました。



そしてこちらは、沖縄からの放出品とのことでファーストさんで売られていたレンジャーグリーンのポーチ。

ダブルのポケットで、ゴーグル2個が余裕の収納。
いつも決まってゲームの時は2個以上のアイウェアを持ち込む私にはちょうど良いサイズ感です。
Foliage Green の小さなポーチは、今となってはあまり見掛ける事の無くなったOriginal SOE製のバッテリーポーチ。

中のコンパートメント部分には、メッシュの仕切りがあり、ちょっとした小物を分別しておくこともできます。

こちらがOriginal SOE製のバッテリーポーチ。エラスティックバンドの特性を活かして、ポーチ内部にバッテリーホルダーを用意しています。CR123Aバッテリーを使用する機会が多い夜戦だけに、予備バッテリーは必須。
そういえば、シュアファイア純正のSF123Aは、今年に入ってからデザイン一新、リニューアルしていますね。先日ミリブロNewsで紹介されていたSF123A関連の記事に、その様子が分かる映像が掲載されていました。
●SUREFIRE、SF123Aバッテリーに関する解説映像公開

今回投稿した記事は、今年春に新調したコンパクトカメラで撮影したものなのですが、それにしても、最近のコンパクトカメラはスゴイですねー。夜なんかのように、光量が少なく、設定が面倒で写すのが難しいような状況下でも、全てオート設定でピシャリと撮れてしまうんですもんね。
あー、こうやってゲームに行くとサバゲー熱というか、物欲が刺激されてしまいます。久々に欲しいものリストを更新中です。
2011年10月30日
Light Weight Mag for TM AKs
久々の更新です。それにしても過去ログを見ても酷い有様です。。。かなりの放置プレイ。
中々時間が無く、サバイバルゲームに行く機会もめっきりと減ってしまい、寂しい限りです。その間にもチラホラと買い物はしていたのですが、ゲームで使う目処が無いと、中々新しいものへの触手が伸び悩みますね。
随分以前のゲームで、AK好きの友人が持っていたマガジンを、たまたまお借りする機会があり、その時のあまりの使い勝手のよさに思わず、「欲しい」と思って手配をお願いしていたマガジンが、手元に届いて早一年・・・。
ちょうど部屋の整理をしている時にポンと出てきたので、銃本体に取り付けたり、ゲームに行くことをイメージして装備の組み合わせなどを妄想していました。

AKカスタムで有名なハンマーズさんのところで飾られていたのを見て、衝撃を受けるほどに気に入った Krinkov ですが、SOPMOD M4やSCAR-Lといった次世代電動ガンと、Systema PTW M4などの出番が多く、飾るだけの存在になってしまっていました。そうしたゲームユースとトータル的なバランスで言えば、劣るものの、レシーバー部の磨き上げられた雰囲気とSAMSON K-Railの組み合わせが堪らなく好きです。

そしてこちらが本題のマガジン。どこのメーカー製のものか分かりません。友人に購入の手配をお願いしたので、どこで買ってきたものかも知りません・・・。
単に「MAG」と書いたロゴ?と、「100Rds」、「WAFFLE Type」に印が付いているだけの、超シンプルなパッケージがイカしてます。

箱の中はと言うと、こんな感じに梱包されています。

一本取り出してみると、こんな感じのワッフル・タイプのマガジンです。

反対側にもワッフルマガジンらしく、強化リブが全体的に施されています。

先っちょはこんな感じ。と言っても、何の変哲もありません。

東京マルイ製のAKシリーズ用 30連型のノーマル70連マガジンと並べての比較。

そして反対側。

東京マルイ製のマガジンには背面にプレスの折り返しがあるのが特徴的。

給弾側はこのようになり、テンションが掛かっている方向が異なります。
以前に借りて撃った時は、結構な弾数を撃ちましたが、給弾不良を起こす雰囲気もありませんでした。また友人も曰く、今のところ給弾不良を起こしたことが無いそうです。

樹脂製のワッフルマガジンにも底面には金属製のプレートが施されていて、強度アップを図っています。

そして見た目以外での最大の違いは、ここ。重量の比較です。東京マルイ製のマガジンは外装がメタルということもあって、250gをオーバー。

一方のこのNB(ノン・ブランド)品のマガジンは、樹脂製の強みを活かした軽量マガジンで、東京マルイ製の半分近い135g。

もう一年ほど前に手配してもらったものなので、購入した時の値段もすっかり忘れてしまいましたが、かなり安かったことだけは記憶しています。幾らだっけな・・・。すいません。

AKマガジンの携行用と言えば、これ。56式チェストリグ。まだ新品で手に入れて数回しか使っていないにも関わらず、スプレー塗装のお陰で、キチャナーイ雰囲気に仕上がりました~。
この56式チェストリグでは3本のマガジンが携行できます。個人的には4本仕様のものの方が良かったのですが。

そしてこちら、Aggressor Group オリジナルのPECA ソフトアーマーに、Tac-Nylonコラボのマガジンポーチを取り付けています。M4用のマガジンポーチとなっていますが、無理矢理AKマグを挿入~。

そして先程の56式チェストリグと組み合わせてみます。うーん、これはこれでアリなのか?!
ソフトアーマーのマガジンポーチの内、一番右横の1本分を空けて、ハンドガンを突き刺すというのもやってみようか思案中です。落っこちそうな気がしないでもないですが。

現実的にはこちらのような組み合わせの方がベターなのかもしれません。
マガジンの重さが半分近く軽量となっているので、実際に着用してみるとその違いは本数が大きくなればなるほどよく分かります。

メタルマガジンだけでなく、このワッフル・タイプのマガジンもよく似合います。ストックのパッドも数年前に購入して以来、一度も使ったことが無く、新品のまま押入れから出てきました。
そして何故か、無性にBlackHawk! 製のワンポイントスリングを取り付けてみたくなりましたが、何となくSOPMODな雰囲気と相性良さそうです。ただ、スイベルが反対側なのが残念。

今から6,7年ほど前だったでしょうか、ワッフルのAKマガジンが初めて出回ったとき、嬉しくて真っ先に手に入れて抜き差しをしてみると、マガジン側のフック部分がモロイ樹脂製だった為に、モゲ落ちてしまったのを思い出します。
今は自宅にある替えのマガジンが豊富になったので、まあ大丈夫ですが、当時はそれほど予備マガジンを持っていなかったのでショックでした。

そういえば以前にこのSOPMOD Krinkovを掲載した時には、ライトを取り付けた状態ではありませんでした。
Surefire G2 Nitronですが、LED仕様ということもあって夏の昆虫採集の時など、普段使いでも重宝しています。
マウントリングはVltor製のもので、元々はヘルメットのサイドレイル用だったものを、ライトの径と合うとのことでこちらにも使っています。

あと最近重宝しているのがこちら、Mystery Ranchの小さなポーチ、「DittyBag」。ミリタリーラインのポーチというよりも、ハンティングやアウトドアシーンで使うことを想定したポーチのようです。

ちょうど大きさ的にヘッドギア、通信機関連のアイテムを入れるのに良かったのと、底面部が全面クッション性に優れた素材を使用しているので、それ以外の用途でも便利に使えそうです。

写真は3年前のゲームでSOPMOD Krinkovを使った時の様子。
もうかれこれこの2年程、ロクにゲームに行けなくなっていますが、自宅でテッポーを触る度に沸々と「ゲーム行きたい病」が沸いてきます。
先月、サバイバルゲームにご一緒させてもらう機会があり、久々に行きましたが、やっぱりイイっすねー、サバゲー!サイコーに楽しかったです。残念ながらその時の模様を写真に収めることはできませんでしたが、あまりに楽しかったので、週末、隙あらばゲームに行こうと虎視眈々と機会を窺っています。
中々時間が無く、サバイバルゲームに行く機会もめっきりと減ってしまい、寂しい限りです。その間にもチラホラと買い物はしていたのですが、ゲームで使う目処が無いと、中々新しいものへの触手が伸び悩みますね。
随分以前のゲームで、AK好きの友人が持っていたマガジンを、たまたまお借りする機会があり、その時のあまりの使い勝手のよさに思わず、「欲しい」と思って手配をお願いしていたマガジンが、手元に届いて早一年・・・。
ちょうど部屋の整理をしている時にポンと出てきたので、銃本体に取り付けたり、ゲームに行くことをイメージして装備の組み合わせなどを妄想していました。

AKカスタムで有名なハンマーズさんのところで飾られていたのを見て、衝撃を受けるほどに気に入った Krinkov ですが、SOPMOD M4やSCAR-Lといった次世代電動ガンと、Systema PTW M4などの出番が多く、飾るだけの存在になってしまっていました。そうしたゲームユースとトータル的なバランスで言えば、劣るものの、レシーバー部の磨き上げられた雰囲気とSAMSON K-Railの組み合わせが堪らなく好きです。

そしてこちらが本題のマガジン。どこのメーカー製のものか分かりません。友人に購入の手配をお願いしたので、どこで買ってきたものかも知りません・・・。
単に「MAG」と書いたロゴ?と、「100Rds」、「WAFFLE Type」に印が付いているだけの、超シンプルなパッケージがイカしてます。

箱の中はと言うと、こんな感じに梱包されています。

一本取り出してみると、こんな感じのワッフル・タイプのマガジンです。

反対側にもワッフルマガジンらしく、強化リブが全体的に施されています。

先っちょはこんな感じ。と言っても、何の変哲もありません。

東京マルイ製のAKシリーズ用 30連型のノーマル70連マガジンと並べての比較。

そして反対側。

東京マルイ製のマガジンには背面にプレスの折り返しがあるのが特徴的。

給弾側はこのようになり、テンションが掛かっている方向が異なります。
以前に借りて撃った時は、結構な弾数を撃ちましたが、給弾不良を起こす雰囲気もありませんでした。また友人も曰く、今のところ給弾不良を起こしたことが無いそうです。

樹脂製のワッフルマガジンにも底面には金属製のプレートが施されていて、強度アップを図っています。

そして見た目以外での最大の違いは、ここ。重量の比較です。東京マルイ製のマガジンは外装がメタルということもあって、250gをオーバー。

一方のこのNB(ノン・ブランド)品のマガジンは、樹脂製の強みを活かした軽量マガジンで、東京マルイ製の半分近い135g。

もう一年ほど前に手配してもらったものなので、購入した時の値段もすっかり忘れてしまいましたが、かなり安かったことだけは記憶しています。幾らだっけな・・・。すいません。

AKマガジンの携行用と言えば、これ。56式チェストリグ。まだ新品で手に入れて数回しか使っていないにも関わらず、スプレー塗装のお陰で、キチャナーイ雰囲気に仕上がりました~。
この56式チェストリグでは3本のマガジンが携行できます。個人的には4本仕様のものの方が良かったのですが。

そしてこちら、Aggressor Group オリジナルのPECA ソフトアーマーに、Tac-Nylonコラボのマガジンポーチを取り付けています。M4用のマガジンポーチとなっていますが、無理矢理AKマグを挿入~。

そして先程の56式チェストリグと組み合わせてみます。うーん、これはこれでアリなのか?!
ソフトアーマーのマガジンポーチの内、一番右横の1本分を空けて、ハンドガンを突き刺すというのもやってみようか思案中です。落っこちそうな気がしないでもないですが。

現実的にはこちらのような組み合わせの方がベターなのかもしれません。
マガジンの重さが半分近く軽量となっているので、実際に着用してみるとその違いは本数が大きくなればなるほどよく分かります。

メタルマガジンだけでなく、このワッフル・タイプのマガジンもよく似合います。ストックのパッドも数年前に購入して以来、一度も使ったことが無く、新品のまま押入れから出てきました。
そして何故か、無性にBlackHawk! 製のワンポイントスリングを取り付けてみたくなりましたが、何となくSOPMODな雰囲気と相性良さそうです。ただ、スイベルが反対側なのが残念。

今から6,7年ほど前だったでしょうか、ワッフルのAKマガジンが初めて出回ったとき、嬉しくて真っ先に手に入れて抜き差しをしてみると、マガジン側のフック部分がモロイ樹脂製だった為に、モゲ落ちてしまったのを思い出します。
今は自宅にある替えのマガジンが豊富になったので、まあ大丈夫ですが、当時はそれほど予備マガジンを持っていなかったのでショックでした。

そういえば以前にこのSOPMOD Krinkovを掲載した時には、ライトを取り付けた状態ではありませんでした。
Surefire G2 Nitronですが、LED仕様ということもあって夏の昆虫採集の時など、普段使いでも重宝しています。
マウントリングはVltor製のもので、元々はヘルメットのサイドレイル用だったものを、ライトの径と合うとのことでこちらにも使っています。

あと最近重宝しているのがこちら、Mystery Ranchの小さなポーチ、「DittyBag」。ミリタリーラインのポーチというよりも、ハンティングやアウトドアシーンで使うことを想定したポーチのようです。

ちょうど大きさ的にヘッドギア、通信機関連のアイテムを入れるのに良かったのと、底面部が全面クッション性に優れた素材を使用しているので、それ以外の用途でも便利に使えそうです。

写真は3年前のゲームでSOPMOD Krinkovを使った時の様子。
もうかれこれこの2年程、ロクにゲームに行けなくなっていますが、自宅でテッポーを触る度に沸々と「ゲーム行きたい病」が沸いてきます。
先月、サバイバルゲームにご一緒させてもらう機会があり、久々に行きましたが、やっぱりイイっすねー、サバゲー!サイコーに楽しかったです。残念ながらその時の模様を写真に収めることはできませんでしたが、あまりに楽しかったので、週末、隙あらばゲームに行こうと虎視眈々と機会を窺っています。
2011年07月05日
U.S. Army Museum of Hawaii
ホノルル国際空港に到着後、宿泊先ホテルにバスで向かう途中、のどかな公園の雰囲気を横目に眺めていると、戦車や砲台が立ち並ぶ建物の一角がふと目に入りました。後に調べて分かったのですが、この公園が "フォートデロシー・ビーチ・パーク" で、その中にある戦車や砲台が立ち並ぶ建物が "U.S. Army Museum of Hawaii" でした。
フリープランとしていた翌日、少し早起きして訪れてみることに。

ホノルルから程近い場所にあって、男性を中心に隠れたスポットとして人気があるとして日本でも少しは紹介されているようです。
パッと見た感じでも直ぐに分かるぐらい「いかにも!」という雰囲気の、分かり易い「軍人らしさ」を持った初老の男性がカウンターにいました。この館への入場は無料。どこから来たのかと、名前を記入さえすれば誰でも入館できます。
館内には第二次世界大戦、とりわけ日本と米国との間に起こったあの戦争を中心に、米国によるハワイ侵略と併合の戦史も交えて多くの物品と共に展示しています。

そして時系列に沿ってミュージアムの展示は続きます。
こちら向かって左は、 "Magazine Rifle Model 1903, .30 Cal" 。M1896 を改良した優秀なライフルとして展示。第一次世界大戦から第二次世界大戦に掛けてスプリングフィールド・アーモリーとロックアイランド・アーモリーによっておよそ140万本が製造されています。
そして右側は通称 "American Enfield" とも呼ばれる M1917 エンフィールド。M1903 Springfield と同様のボルト作動方式を採用。
第一次世界大戦の戦乱の中で、米国からの要求に応えるため、銃器製造メーカーは英国版のものより小さい口径で急遽製造を間に合わせることで、2,202,429挺のエンフィールドを製造したそうです。

20世紀の前半に日本の軍事シーンで活躍したオートロード式ピストルの決定版、南部ピストル。いわゆる "南部大拳" の南部式大型自動拳銃 。

凛とした雰囲気の佇まいが印象的な騎乗の大日本帝国軍人の写真が飾られ、その下には当時を偲ばす物品が展示されています。

旅行の本題から逸れて、今年になって読み終えた書籍をご紹介。渡部昇一著 日本の歴史6 昭和編、「昭和の大戦」への道。ブロック経済とABCD包囲網(America、Britain、China、Dutchの頭文字から取った経済包囲陣)による、「導かれし日本の参戦」や、"五族協和" の満州国の実態、南京大虐殺の不思議などなど、興味深い日本の参戦前後の史実に関する話題が詳しく書かれています。中でも南京大虐殺については、当時の南京の人口が25万人そこそこであったにもかかわらず、戦後、中国が主張する20万人とも30万人とも言われる、南京の人口に匹敵またはそれ以上の人数を日本軍が虐殺したとする不可思議な主張の真偽について独自の切り口で迫ります。日教組による、いわゆる左派的思想の中で教育課程を修了した我々世代にとっては、日本の近代史を知る中で、何となく、そして、いつの間にか欠如していた大切な日本の近代史の背景を改めて見詰め直すことができます。
とりわけ日本が米国に対する宣戦布告として表現される真珠湾攻撃(パールハーバーアタック)については、当時ワシントンに居た日本大使館員のケアレスミスとも言える伝達ミスによって、本来は正式な宣戦布告での開戦をしなければならないはずが、結果として "奇襲攻撃" となってしまった痛憤の極みとも言える日本側の失態を、如実に記載しており、目から鱗の展開で読み入ったものでした。
続く 日本歴史7 戦後編 「戦後」混迷の時代に では、その東京裁判を中心に展開します。"無条件降伏" として誤認され続けているポツダム宣言は日本軍の陸・海・空軍に対してするという条件付降伏、つまり "有条件降伏" であったとする内容などに触れ、リットン報告書によるところでは、日本が侵略戦争をおこなおうとしていたわけではないとすることについて解説されているなどなど、興味深い記事が満載です。
日本の近代史を語る上で、最も大きなターニングポイントであったのは間違い無く先の大戦を敗戦で迎えたことであったはずです。良くも悪くも敗戦で迎えた日本。特に、東京裁判を始め、米国による戦後統治の影響は単に軍事的な側面ではなく、政治や経済をも巻き込んだ大きな潮流であったのだなーと改めて痛感させられます。

Japanese Howitzer, Model 92 (1932) こと 九二式歩兵砲。1930年代初期から大日本帝国陸軍の歩兵部隊に配備された歩兵砲です。米軍との陸戦で敗れた際に鹵獲されたものでしょうか。その辺の背景まではわかりませんが、当時を偲ぶ展示品です。

最大水平射程距離は約2,800m。毎分10発程度の連射が可能とのこと。6秒に1発とは結構早いのでは!?と感じた次第です。

続いて用意されたスペースの中にポツンと展示されたケースが。

近付いてよく見てみると、「日本軍の小さな損失」と題されたこちらの展示物は、米側にKate(ケイト)というコードネームで呼ばれていた中島製(B5N) 九七式艦上攻撃機 三号の水平尾翼の一部。真珠湾攻撃の際には143機が参加していました。

こちらは最近読み終えた書籍。
多くの "神話" とともに語り継がれている "ゼロ戦" こと "零式艦上戦闘機" の真実に鋭くメスを入れた書籍、清水政彦著 零式艦上戦闘機(新潮選書刊)。神武紀元2600年となる昭和15年(西暦1940年)に正式採用され、その年式の下二桁から由来し、名付けられた "ゼロ戦" 。ゼロ戦は、三菱による生産と中島飛行機(現在の「スバル」富士重工業)によるライセンス生産によって10,000機以上生産された当時の日本軍を語る上で欠かせない戦闘機ですが、この書籍を読むと、今まで自分が描いていたのとは全く違うゼロ戦の評価が、史実に基づき数理の上で分析されています。本書では、軍政下でのプロパガンダとして利用され、また戦後復興の際に、 "技術大国日本" を象徴する希望としても語り草となったゼロ戦の真実に迫ります。ただ・・・、技術的なことや専門的なことが多く記載されているので、やや上級者向きに感じます。知らなかった話題に出会えるので時間は掛かりましたが、何とか読み切ることができました。

"洋上戦における空軍力" と名付けられたこちらの展示物のテキスト箇所には、当時の日本軍が保有していたレシプロ機、Nakajima B5N2 Type97 "Kate"、Aichi D3A1 Type99 "Val"、Mitsubishi A6M2 Type0 "Zero"が紹介されています。
またそのテキストでの紹介の横には、空母「赤城」から発艦した AI-154 Mitsubishi A6M2 Model 21(Type 0) Fighter や、同じく空母「翔鶴」から発艦した EI-311 Nakajima B5N2 Model 12(Type 97) Bomber、空母「加賀」から発艦の AII-256 Aichi D3A1 Model 11 (Type99) Dive Bomber、空母「飛龍」から発艦の BII-120 Mitsubishi A6M2 Model 21 (Type0) Fighter、空母「瑞鶴」から発艦の EII-140 Mitsubishi A6M2 Model 21 (Type0) Fighterなどといった、当時の日本海軍の主力空母と艦載機の組み合わせが模型と共に紹介されています。
ゼロ戦がデビューする3年前の昭和12年、防空戦闘機として「十二試艦戦」こと「十二試艦上戦闘機」の開発作業が着手されます。それまでの洋上戦闘では戦艦などによる艦隊決戦が至上主義とされていた中で、大きな転機となる上海事変を迎え、日本軍初となる艦載機による本格的な戦闘を経験し、以後の洋上戦闘に大きな影響を与えたとされています。
こちらの展示物では、航空母艦による洋上戦闘が革命的な出来事であったことを解説し、1940年代前半の当時、間違いなく世界の戦闘機製造のトップクラスに位置していた日本軍が保有する航空機のその潜在能力の高さを評価しています。

続いてこちらは "ブローニング M1917 重機関銃"
米国が生んだ天才銃器設計家のジョン・ブローニング(John Browning、1855~1926)が開発したもので、第二次世界大戦から朝鮮戦争に渡って米陸軍で使用され続けたそうです。現在は親米諸国へ供与されているそうです。

1884年、イギリス人発明家によって世界初の全自動式機関銃のマキシム機関銃が開発され、"第0次世界大戦" こと日露戦争で投入されます。人類の歴史上で初めて本格的に機関銃が用いられた戦争としても有名な日露戦争で、ロシアはこのマキシム機関銃を早速使用し、日本軍は陸戦での展開に苦しめられました。資料によっては、マキシム機関銃による日本側の犠牲者数は、犠牲となった日本兵のうち半数にも達するとされており、後に、戦闘シーンでの機関銃の有効性が広く世界に知られることになります。とりわけ陸戦での戦局を決定付ける画期的な兵器として、列強を中心に注目を集め、開発が進められた機関銃は、米国とて例外なくその採用を進めました。
写真のパネルでは第一次大戦のドイツでの教訓から、M1917A1機関銃を導入する背景やその後の輝かしい米軍史の戦績に関する記述、米陸軍によってワイキキビーチに並べられた大層な数のトーチカ、有刺鉄線など、その軍事的な防御ラインの情景が記述されています。

戦時下での日本側の様子を伝える当時の写真。民主主義とは何ぞや、民主主義はメイドイン・アメリカである、そして日本に自由を与えたのはアメリカであるといった、全てが正しいとは決して言い切れない、すなわちそうした "間違えた" 報道や主張、教育から今の日本は、はたと目を覚ますよう、政治的な意味合いも含めた大きな変革をする必要があるのでは?と思う今日この頃。
もちろん、アメリカだけが槍玉ではなく、アメリカだけが正義でもない・・・。もっと親日視点で、愛国の気持ちを持って日々の情報を自分なりに解析する目を、国民一人一人が持たねば、本当正しいことが何なのか? 先進国でそして自由と民主主義を掲げる国家の日本ですが、実際のところは必要な情報、正しい情報に飢えた国で、そこに辿り着くには国民個々の分析力が試されているようにも感じます。そうした意味からも、もしかすると軍国主義として悪名高き戦時下の日本と比肩しても、今日の日本の方が実は情報統制の影響を強く受けているのでは?・・・自ら情報を分析でき、その意思を強く持った人にしか "正しい情報" が手に入らない。最近の国内情勢を見ていると余計にそう感じます。

破竹の勢いで進軍する日本。陸軍を中心に南方作戦を進め、マレー、シンガポール、フィリピン、香港と勢力を拡大する中でイギリス、オランダ、アメリカといった当時の列強を次々と撃破。ソ連との国境を迎える地から中国、ビルマ、スマトラといった東南アジア全域からオーストラリアに迫るニューギニア付近までを日本の勢力図とし、太平洋上ではハワイまでもが攻撃可能な地域となるほどにまで進出。 "大東亜共栄圏" なる構想も現実味を帯びたかのように見えた一方で、大きなターニングポイントであるミッドウェー海戦を迎えます。またミッドウェー海戦の直前にはドリットルによるB-25での初の日本本土空襲、"ドゥリットル空襲" がおこなわれます。この頃から破竹の勢いで進軍してきた日本の勢力に大きな影が落ち、米軍の物量と情報戦、兵器開発能力が大きなアドバンテージとなって、まざまざとその "国力" の差を見せつけられていきます。
ミッドウェー海戦での敗戦によって、以降のガダルカナル島での戦闘や、サイパン、グアム、といったキーポイントでの玉砕に次ぐ玉砕へと繋がり、インパール作戦の失敗でアジア太平洋における敗戦を決定付けることになります。
写真はミッドウェー海戦で沈没した重巡洋艦 三隈。

1941年~1945年に掛けて繰り広げられた「World WarⅡ」。終戦後、米国(連合国)側がGHQによる統治政策の一環で、軍国主義を髣髴とさせることから「大東亜戦争」の呼称を禁じ、「第二次世界大戦」または「太平洋戦争」として呼称することを奨めました。
こちらの写真では当時のアジア・太平洋に関わる一連の作戦を統計した絵図となっており、個々の戦闘シーンでのキーマンとなる人物や、部隊のインシグニアがキャプションと共に取り上げられています。

12-Gauge(ゲージ)のショットガン Winchester M97とM1917 Bayonet(バヨネット:銃剣)、Thompson M1928A1などなど、大戦当時に米軍が使用していた小銃火器が展示されています。

こちらは別の角度から。Sniper Rifle の .30Cal M1903A4や、ブローニングM1918(BAR:Browning Automatic Rifle)などの展示も確認できます。

こちらは日本軍側の小銃火器を展示。72式 7.7mm 機関銃、99式 7.7mm ライフルなどが展示されています。

日本軍で採用されていた拳銃。左から 9mm 二十六年式回転拳銃、8mm 十四年式拳銃、8mm 九四式拳銃。

千人針。今は亡き祖母の実家で写真を整理した時に、祖母の近所のおじさんが出兵する様子を写した写真で見たことがあるような気がします。「武運長久」、「必勝祈願」などの願掛けで、「弾除け」にもなるとして戦地へ赴く兵士へ手渡されたそうです。非科学的なことは百も承知であったことでしょう・・・。
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」
後の神風特攻隊として編成された「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の各名称は、江戸時代の医師であり国学者の本居宣長(1730~1801)の和歌から由来。日本人が日本人である品性と誇りを意味する「大和魂」と辞書を引けば、この和歌が引用されます。
「国家」とは何だろう?「愛国心」とは・・・。もっぱら最近の私の中での問いです。親を大事にすること、家族を大切に想う心。延々と受け継がれてきた自分にまつわる祖先を大事にする気持ちがあれば、必然と国家に対する敬意の念が出る。「今の自分がどうして存在するのか」
この行き着く先にあるのが「愛国心」であり、その実態として存在するのが「国家」なんだと考えています。これが今持つ私の国家感なんだと・・・。
死を覚悟の上で千人針を持って戦地へ行き、日本の行く末を信じ、自らの生命を捧げた多くの先人に恥じないよう生き、そして先人たちが創り上げたこの日本を守り、次の世代へ渡すのが私たちの使命なんだと、改めて感じます。そしてここには思想の "ミギ" も "ヒダリ" もないのだと。

写真向かって左から順に、"Porcelain Hand Grenade" と書かれた四式陶製手榴弾と、中央には "Stick Hand Grenade" とだけ書かれて紹介されている恐らく "九八式柄付手榴弾" と、右側には 九九式手榴弾 がそれぞれ紹介されています。

続いてこちらは "Type39 50mm Grenade Dischager" と書かれた、「八九式重擲弾筒(はちきゅうしきじゅうてきだんとう)」。小隊用軽迫撃砲として使用。

八九式重擲弾筒を鹵獲した米軍は当初、膝に乗せて撃つ小型の迫撃砲と勘違いしたことから、怪我人が出たなどの逸話もあるそうです。確かにパッと見た感じではそう思っても仕方ないかもしれない形状です。

敗戦の色が濃くなった1945年3月10日、米国は日本の首都東京に民間人をも巻き込んだ、無差別の大量虐殺、東京大空襲を決行。その後13日に大阪を、17日には神戸を空襲。当時開発されたばかりの ボーイング B-29 スーパー・フォートレス が日本の上空 高度10,000メートルという超上空をその名の通り "要塞" として君臨。超空の要塞B-29による日本本土の焦土作戦とも言える大規模な空襲を実施した結果、延べ56万人もの人々が無差別に焼き殺されました。B-29に対抗すべく当事の日本に用意されていた邀撃(ようげき)体制は、東京杉並区に設置された「五式十五センチ高射砲」が僅かに2門。その頼みの高射砲が火を噴き、見事撃墜したB-29はたったの2機・・・。終戦までの間に撃墜できたB-29は3桁に届かず、防戦一方だったようです。
そして日本の敗戦を決定付けた広島、長崎への原爆投下。マンハッタン計画により、1945年8月6日には B-29 "エノラ・ゲイ" がウラニウム型原子爆弾の "リトルボーイ" を広島へ投下し、その3日後となる8月9日にはB-29 "ボックス・カー" がプルトニウム型原子爆弾 "ファット・ボーイ" を投下。広島では14万人、長崎で7万人の生命が一瞬にして奪われました。放射能の影響によって後遺症が続き、その後最終的に広島では30万人、長崎で14万人の犠牲者を出しています。
空襲による被害者、原爆による被害者。いずれもその殆どが民間人を巻き込んでいます。流れ弾に当たってというレベルではなく、意図的にターゲットとしていることが見て取れるのです。
戦争にもルールがあるはず。最低限の・・・。多くの国が批准していると言われている "ハーグ陸戦条約" を例にしても、交戦規約には正規軍や民兵、義勇兵といった武装している人物が対象となっています。紛らわしい格好をしていることは別としても、民間人に対しての交戦は認めていません。
米国が "世界の警察" を自認し、自他共に認める格好となった今、国際社会での美辞麗句に惑わされるものかと、深く詮索する自分がいるのもこうした史実があるからなのかもしれないと、自問自答しています。
「原爆の投下があったから、一億総玉砕とならずに済んだ」などといった見解も有るそうですが、「ハイそうですか」と鵜呑みに納得する問題とは異なるように感じるのです。
そして日本は昭和天皇のご聖断により終戦を敗戦として迎え、約4年に渡って繰り広げられた大東亜戦争が終結。
日本の敗戦が決定付けられたと世界の誰もが感じた頃、連合国各国の思惑が色濃く反映された日本統治案が触手を伸ばしてきます。日本の「四分割統治案」。ドイツが東西に分けられ、二分割統治がおこなわれたように、日本を四分割にして統治を使用とする案が提案されました。
北海道・東北:ソ連
関東~近畿:米国
中国地方と九州:イギリス
四国:中国(中華民国)
※東京のみ4ヶ国による共同管理とし、大阪は米国と中国による共同管理とする
という案が検討されました。4ヶ国も集まれば、まとまるものもまとまる由も無く、結局は立ち消えになり現在に至っているのですが、これがもしそのようになっていたら・・・と想像するだけでもゾっとします。特に・・・アノ国とアノ国の属国、植民地にだけはなりたくない・・・。

後藤寿一著 もう一度学びたい 太平洋戦争 西東社刊
元サンケイ新聞社の記者だった著者が、アジア・太平洋を中心に激戦が繰り広げられた太平洋戦争を、史実に沿って分かり易く解説しています。ミギ寄りの論調が特徴の産経新聞ですが、本書ではその傾向も無く、極めて公平な視点から解説しているのが最大の特徴ではないかと感じます。様々な書籍を見て回りましたが、非常に飲み込み易いように解説してくれているのでオススメの一冊です。また、全ページに渡って、1ページに付き1冊、トピックス毎の関連書籍や映画、DVDを紹介し、メディアとの融合を図っているのも嬉しいです。
そしてミュージアム外にでると、屋上や建物の周囲に戦史を飾る兵器たちの姿が。

AH-1 コブラ

米軍の簡易トーチカ

簡易トーチカの使用方法

日本軍の九五式軽戦車。主砲は九四式37mm戦車砲でその他に九七式7.7mm車載重機関銃を2門装備。空冷式のディーゼルエンジンで時速30マイル(48Km/h)、160Kmの走行が可能であったとしています。

第二次大戦末期に登場した、米軍の M24 チャーフィー軽戦車。40口径75mm戦車砲M6 を主砲とし、副武装に12.7mm M2 重機関銃と 7.62mm M1919A4 機関銃を装備。エンジンには、キャディラックV型8気筒水冷ガソリンエンジンを2基搭載し、19トンの車体と4名の乗員で時速35マイル(56Km/h)で走行。

第二次大戦中に米軍が使用していた M3 105mm榴弾砲。射程距離は約7,600m

日本軍が使用していた一式機動四十七粍速射砲(いっしききどう47みりそくしゃほう)。500ヤード(=約460m)離れた地点で3インチ(=約7.62cm)の装甲を貫通することが可能。

1848年に鋳造されたと言われている大砲。1778年、イギリスの海軍士官であり、海洋探検家でもあったJames Cook(クック船長)にがハワイ島を訪れて以来、ハワイのカメハメハ大王らは西洋の技術により作られた兵器に興味津々だったことが、この大砲を紹介するプレート内のテキストに紹介されています。

こちらのミュージアムの売店では、お土産グッズの販売もおこなっていました。
様々なグッズに目を輝かせながら触手を伸ばしておりましたが、旅の浮かれた気持ちで不要なものを買うまいと、厳選に厳選し、購入したのがこちらのピンバッジ。
"Go for broke!"、「当たって砕けろ!」、「死力を尽くせ!」をスローガンとした、米国陸軍の日系人部隊 "第442連隊戦闘団" のものと、星条旗×ハワイ州旗のものを購入。
442部隊といえば、米国の戦史上でもっとも数多くの勲章を受けた部隊として有名ですが、最近ではSMAP 草なぎ剛氏が主演のTV映画で取り上げられたのが記憶に新しいところです。
そしてハワイ州旗の方はというと、ガイドさん曰く、イギリス人のクック船長に由来してユニオンジャックがあしらわれたデザインが採用されているとのことです。
特に442部隊のバッジについては、売店のレジに居た日系人の初老の男性から、「兄ちゃんこれは意味を知って買うってのか?」と訊かれ、「もちろん、そうだ」と答えると、「あんた、通だねー、このピンパッジはここにしか売っていないんだよ」と。身に着けることなんて無いのですが、旅の記念に、そして60余年前の史実に触れた記念に、大切に保管しようと思います。
参考書籍:
後藤寿一著 もう一度学びたい 太平洋戦争 西東社 刊
渡部昇一著 日本の歴史6 昭和編 「昭和の大戦」への道 WAC刊
渡部昇一著 日本の歴史7 「戦後」混迷の時代に WAC刊
清水政彦著 零式艦上戦闘機 新潮社刊
前間孝則著 日本はなぜ旅客機をつくれないのか 草思社刊
竹田恒泰著 日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか PHP新書刊
フリープランとしていた翌日、少し早起きして訪れてみることに。

ホノルルから程近い場所にあって、男性を中心に隠れたスポットとして人気があるとして日本でも少しは紹介されているようです。
パッと見た感じでも直ぐに分かるぐらい「いかにも!」という雰囲気の、分かり易い「軍人らしさ」を持った初老の男性がカウンターにいました。この館への入場は無料。どこから来たのかと、名前を記入さえすれば誰でも入館できます。
館内には第二次世界大戦、とりわけ日本と米国との間に起こったあの戦争を中心に、米国によるハワイ侵略と併合の戦史も交えて多くの物品と共に展示しています。

そして時系列に沿ってミュージアムの展示は続きます。
こちら向かって左は、 "Magazine Rifle Model 1903, .30 Cal" 。M1896 を改良した優秀なライフルとして展示。第一次世界大戦から第二次世界大戦に掛けてスプリングフィールド・アーモリーとロックアイランド・アーモリーによっておよそ140万本が製造されています。
そして右側は通称 "American Enfield" とも呼ばれる M1917 エンフィールド。M1903 Springfield と同様のボルト作動方式を採用。
第一次世界大戦の戦乱の中で、米国からの要求に応えるため、銃器製造メーカーは英国版のものより小さい口径で急遽製造を間に合わせることで、2,202,429挺のエンフィールドを製造したそうです。

20世紀の前半に日本の軍事シーンで活躍したオートロード式ピストルの決定版、南部ピストル。いわゆる "南部大拳" の南部式大型自動拳銃 。

凛とした雰囲気の佇まいが印象的な騎乗の大日本帝国軍人の写真が飾られ、その下には当時を偲ばす物品が展示されています。

旅行の本題から逸れて、今年になって読み終えた書籍をご紹介。渡部昇一著 日本の歴史6 昭和編、「昭和の大戦」への道。ブロック経済とABCD包囲網(America、Britain、China、Dutchの頭文字から取った経済包囲陣)による、「導かれし日本の参戦」や、"五族協和" の満州国の実態、南京大虐殺の不思議などなど、興味深い日本の参戦前後の史実に関する話題が詳しく書かれています。中でも南京大虐殺については、当時の南京の人口が25万人そこそこであったにもかかわらず、戦後、中国が主張する20万人とも30万人とも言われる、南京の人口に匹敵またはそれ以上の人数を日本軍が虐殺したとする不可思議な主張の真偽について独自の切り口で迫ります。日教組による、いわゆる左派的思想の中で教育課程を修了した我々世代にとっては、日本の近代史を知る中で、何となく、そして、いつの間にか欠如していた大切な日本の近代史の背景を改めて見詰め直すことができます。
とりわけ日本が米国に対する宣戦布告として表現される真珠湾攻撃(パールハーバーアタック)については、当時ワシントンに居た日本大使館員のケアレスミスとも言える伝達ミスによって、本来は正式な宣戦布告での開戦をしなければならないはずが、結果として "奇襲攻撃" となってしまった痛憤の極みとも言える日本側の失態を、如実に記載しており、目から鱗の展開で読み入ったものでした。
続く 日本歴史7 戦後編 「戦後」混迷の時代に では、その東京裁判を中心に展開します。"無条件降伏" として誤認され続けているポツダム宣言は日本軍の陸・海・空軍に対してするという条件付降伏、つまり "有条件降伏" であったとする内容などに触れ、リットン報告書によるところでは、日本が侵略戦争をおこなおうとしていたわけではないとすることについて解説されているなどなど、興味深い記事が満載です。
日本の近代史を語る上で、最も大きなターニングポイントであったのは間違い無く先の大戦を敗戦で迎えたことであったはずです。良くも悪くも敗戦で迎えた日本。特に、東京裁判を始め、米国による戦後統治の影響は単に軍事的な側面ではなく、政治や経済をも巻き込んだ大きな潮流であったのだなーと改めて痛感させられます。

Japanese Howitzer, Model 92 (1932) こと 九二式歩兵砲。1930年代初期から大日本帝国陸軍の歩兵部隊に配備された歩兵砲です。米軍との陸戦で敗れた際に鹵獲されたものでしょうか。その辺の背景まではわかりませんが、当時を偲ぶ展示品です。

最大水平射程距離は約2,800m。毎分10発程度の連射が可能とのこと。6秒に1発とは結構早いのでは!?と感じた次第です。

続いて用意されたスペースの中にポツンと展示されたケースが。

近付いてよく見てみると、「日本軍の小さな損失」と題されたこちらの展示物は、米側にKate(ケイト)というコードネームで呼ばれていた中島製(B5N) 九七式艦上攻撃機 三号の水平尾翼の一部。真珠湾攻撃の際には143機が参加していました。

こちらは最近読み終えた書籍。
多くの "神話" とともに語り継がれている "ゼロ戦" こと "零式艦上戦闘機" の真実に鋭くメスを入れた書籍、清水政彦著 零式艦上戦闘機(新潮選書刊)。神武紀元2600年となる昭和15年(西暦1940年)に正式採用され、その年式の下二桁から由来し、名付けられた "ゼロ戦" 。ゼロ戦は、三菱による生産と中島飛行機(現在の「スバル」富士重工業)によるライセンス生産によって10,000機以上生産された当時の日本軍を語る上で欠かせない戦闘機ですが、この書籍を読むと、今まで自分が描いていたのとは全く違うゼロ戦の評価が、史実に基づき数理の上で分析されています。本書では、軍政下でのプロパガンダとして利用され、また戦後復興の際に、 "技術大国日本" を象徴する希望としても語り草となったゼロ戦の真実に迫ります。ただ・・・、技術的なことや専門的なことが多く記載されているので、やや上級者向きに感じます。知らなかった話題に出会えるので時間は掛かりましたが、何とか読み切ることができました。

"洋上戦における空軍力" と名付けられたこちらの展示物のテキスト箇所には、当時の日本軍が保有していたレシプロ機、Nakajima B5N2 Type97 "Kate"、Aichi D3A1 Type99 "Val"、Mitsubishi A6M2 Type0 "Zero"が紹介されています。
またそのテキストでの紹介の横には、空母「赤城」から発艦した AI-154 Mitsubishi A6M2 Model 21(Type 0) Fighter や、同じく空母「翔鶴」から発艦した EI-311 Nakajima B5N2 Model 12(Type 97) Bomber、空母「加賀」から発艦の AII-256 Aichi D3A1 Model 11 (Type99) Dive Bomber、空母「飛龍」から発艦の BII-120 Mitsubishi A6M2 Model 21 (Type0) Fighter、空母「瑞鶴」から発艦の EII-140 Mitsubishi A6M2 Model 21 (Type0) Fighterなどといった、当時の日本海軍の主力空母と艦載機の組み合わせが模型と共に紹介されています。
ゼロ戦がデビューする3年前の昭和12年、防空戦闘機として「十二試艦戦」こと「十二試艦上戦闘機」の開発作業が着手されます。それまでの洋上戦闘では戦艦などによる艦隊決戦が至上主義とされていた中で、大きな転機となる上海事変を迎え、日本軍初となる艦載機による本格的な戦闘を経験し、以後の洋上戦闘に大きな影響を与えたとされています。
こちらの展示物では、航空母艦による洋上戦闘が革命的な出来事であったことを解説し、1940年代前半の当時、間違いなく世界の戦闘機製造のトップクラスに位置していた日本軍が保有する航空機のその潜在能力の高さを評価しています。

続いてこちらは "ブローニング M1917 重機関銃"
米国が生んだ天才銃器設計家のジョン・ブローニング(John Browning、1855~1926)が開発したもので、第二次世界大戦から朝鮮戦争に渡って米陸軍で使用され続けたそうです。現在は親米諸国へ供与されているそうです。

1884年、イギリス人発明家によって世界初の全自動式機関銃のマキシム機関銃が開発され、"第0次世界大戦" こと日露戦争で投入されます。人類の歴史上で初めて本格的に機関銃が用いられた戦争としても有名な日露戦争で、ロシアはこのマキシム機関銃を早速使用し、日本軍は陸戦での展開に苦しめられました。資料によっては、マキシム機関銃による日本側の犠牲者数は、犠牲となった日本兵のうち半数にも達するとされており、後に、戦闘シーンでの機関銃の有効性が広く世界に知られることになります。とりわけ陸戦での戦局を決定付ける画期的な兵器として、列強を中心に注目を集め、開発が進められた機関銃は、米国とて例外なくその採用を進めました。
写真のパネルでは第一次大戦のドイツでの教訓から、M1917A1機関銃を導入する背景やその後の輝かしい米軍史の戦績に関する記述、米陸軍によってワイキキビーチに並べられた大層な数のトーチカ、有刺鉄線など、その軍事的な防御ラインの情景が記述されています。

戦時下での日本側の様子を伝える当時の写真。民主主義とは何ぞや、民主主義はメイドイン・アメリカである、そして日本に自由を与えたのはアメリカであるといった、全てが正しいとは決して言い切れない、すなわちそうした "間違えた" 報道や主張、教育から今の日本は、はたと目を覚ますよう、政治的な意味合いも含めた大きな変革をする必要があるのでは?と思う今日この頃。
もちろん、アメリカだけが槍玉ではなく、アメリカだけが正義でもない・・・。もっと親日視点で、愛国の気持ちを持って日々の情報を自分なりに解析する目を、国民一人一人が持たねば、本当正しいことが何なのか? 先進国でそして自由と民主主義を掲げる国家の日本ですが、実際のところは必要な情報、正しい情報に飢えた国で、そこに辿り着くには国民個々の分析力が試されているようにも感じます。そうした意味からも、もしかすると軍国主義として悪名高き戦時下の日本と比肩しても、今日の日本の方が実は情報統制の影響を強く受けているのでは?・・・自ら情報を分析でき、その意思を強く持った人にしか "正しい情報" が手に入らない。最近の国内情勢を見ていると余計にそう感じます。

破竹の勢いで進軍する日本。陸軍を中心に南方作戦を進め、マレー、シンガポール、フィリピン、香港と勢力を拡大する中でイギリス、オランダ、アメリカといった当時の列強を次々と撃破。ソ連との国境を迎える地から中国、ビルマ、スマトラといった東南アジア全域からオーストラリアに迫るニューギニア付近までを日本の勢力図とし、太平洋上ではハワイまでもが攻撃可能な地域となるほどにまで進出。 "大東亜共栄圏" なる構想も現実味を帯びたかのように見えた一方で、大きなターニングポイントであるミッドウェー海戦を迎えます。またミッドウェー海戦の直前にはドリットルによるB-25での初の日本本土空襲、"ドゥリットル空襲" がおこなわれます。この頃から破竹の勢いで進軍してきた日本の勢力に大きな影が落ち、米軍の物量と情報戦、兵器開発能力が大きなアドバンテージとなって、まざまざとその "国力" の差を見せつけられていきます。
ミッドウェー海戦での敗戦によって、以降のガダルカナル島での戦闘や、サイパン、グアム、といったキーポイントでの玉砕に次ぐ玉砕へと繋がり、インパール作戦の失敗でアジア太平洋における敗戦を決定付けることになります。
写真はミッドウェー海戦で沈没した重巡洋艦 三隈。

1941年~1945年に掛けて繰り広げられた「World WarⅡ」。終戦後、米国(連合国)側がGHQによる統治政策の一環で、軍国主義を髣髴とさせることから「大東亜戦争」の呼称を禁じ、「第二次世界大戦」または「太平洋戦争」として呼称することを奨めました。
こちらの写真では当時のアジア・太平洋に関わる一連の作戦を統計した絵図となっており、個々の戦闘シーンでのキーマンとなる人物や、部隊のインシグニアがキャプションと共に取り上げられています。

12-Gauge(ゲージ)のショットガン Winchester M97とM1917 Bayonet(バヨネット:銃剣)、Thompson M1928A1などなど、大戦当時に米軍が使用していた小銃火器が展示されています。

こちらは別の角度から。Sniper Rifle の .30Cal M1903A4や、ブローニングM1918(BAR:Browning Automatic Rifle)などの展示も確認できます。

こちらは日本軍側の小銃火器を展示。72式 7.7mm 機関銃、99式 7.7mm ライフルなどが展示されています。

日本軍で採用されていた拳銃。左から 9mm 二十六年式回転拳銃、8mm 十四年式拳銃、8mm 九四式拳銃。

千人針。今は亡き祖母の実家で写真を整理した時に、祖母の近所のおじさんが出兵する様子を写した写真で見たことがあるような気がします。「武運長久」、「必勝祈願」などの願掛けで、「弾除け」にもなるとして戦地へ赴く兵士へ手渡されたそうです。非科学的なことは百も承知であったことでしょう・・・。
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」
後の神風特攻隊として編成された「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の各名称は、江戸時代の医師であり国学者の本居宣長(1730~1801)の和歌から由来。日本人が日本人である品性と誇りを意味する「大和魂」と辞書を引けば、この和歌が引用されます。
「国家」とは何だろう?「愛国心」とは・・・。もっぱら最近の私の中での問いです。親を大事にすること、家族を大切に想う心。延々と受け継がれてきた自分にまつわる祖先を大事にする気持ちがあれば、必然と国家に対する敬意の念が出る。「今の自分がどうして存在するのか」
この行き着く先にあるのが「愛国心」であり、その実態として存在するのが「国家」なんだと考えています。これが今持つ私の国家感なんだと・・・。
死を覚悟の上で千人針を持って戦地へ行き、日本の行く末を信じ、自らの生命を捧げた多くの先人に恥じないよう生き、そして先人たちが創り上げたこの日本を守り、次の世代へ渡すのが私たちの使命なんだと、改めて感じます。そしてここには思想の "ミギ" も "ヒダリ" もないのだと。

写真向かって左から順に、"Porcelain Hand Grenade" と書かれた四式陶製手榴弾と、中央には "Stick Hand Grenade" とだけ書かれて紹介されている恐らく "九八式柄付手榴弾" と、右側には 九九式手榴弾 がそれぞれ紹介されています。

続いてこちらは "Type39 50mm Grenade Dischager" と書かれた、「八九式重擲弾筒(はちきゅうしきじゅうてきだんとう)」。小隊用軽迫撃砲として使用。

八九式重擲弾筒を鹵獲した米軍は当初、膝に乗せて撃つ小型の迫撃砲と勘違いしたことから、怪我人が出たなどの逸話もあるそうです。確かにパッと見た感じではそう思っても仕方ないかもしれない形状です。

敗戦の色が濃くなった1945年3月10日、米国は日本の首都東京に民間人をも巻き込んだ、無差別の大量虐殺、東京大空襲を決行。その後13日に大阪を、17日には神戸を空襲。当時開発されたばかりの ボーイング B-29 スーパー・フォートレス が日本の上空 高度10,000メートルという超上空をその名の通り "要塞" として君臨。超空の要塞B-29による日本本土の焦土作戦とも言える大規模な空襲を実施した結果、延べ56万人もの人々が無差別に焼き殺されました。B-29に対抗すべく当事の日本に用意されていた邀撃(ようげき)体制は、東京杉並区に設置された「五式十五センチ高射砲」が僅かに2門。その頼みの高射砲が火を噴き、見事撃墜したB-29はたったの2機・・・。終戦までの間に撃墜できたB-29は3桁に届かず、防戦一方だったようです。
そして日本の敗戦を決定付けた広島、長崎への原爆投下。マンハッタン計画により、1945年8月6日には B-29 "エノラ・ゲイ" がウラニウム型原子爆弾の "リトルボーイ" を広島へ投下し、その3日後となる8月9日にはB-29 "ボックス・カー" がプルトニウム型原子爆弾 "ファット・ボーイ" を投下。広島では14万人、長崎で7万人の生命が一瞬にして奪われました。放射能の影響によって後遺症が続き、その後最終的に広島では30万人、長崎で14万人の犠牲者を出しています。
空襲による被害者、原爆による被害者。いずれもその殆どが民間人を巻き込んでいます。流れ弾に当たってというレベルではなく、意図的にターゲットとしていることが見て取れるのです。
戦争にもルールがあるはず。最低限の・・・。多くの国が批准していると言われている "ハーグ陸戦条約" を例にしても、交戦規約には正規軍や民兵、義勇兵といった武装している人物が対象となっています。紛らわしい格好をしていることは別としても、民間人に対しての交戦は認めていません。
米国が "世界の警察" を自認し、自他共に認める格好となった今、国際社会での美辞麗句に惑わされるものかと、深く詮索する自分がいるのもこうした史実があるからなのかもしれないと、自問自答しています。
「原爆の投下があったから、一億総玉砕とならずに済んだ」などといった見解も有るそうですが、「ハイそうですか」と鵜呑みに納得する問題とは異なるように感じるのです。
そして日本は昭和天皇のご聖断により終戦を敗戦として迎え、約4年に渡って繰り広げられた大東亜戦争が終結。
日本の敗戦が決定付けられたと世界の誰もが感じた頃、連合国各国の思惑が色濃く反映された日本統治案が触手を伸ばしてきます。日本の「四分割統治案」。ドイツが東西に分けられ、二分割統治がおこなわれたように、日本を四分割にして統治を使用とする案が提案されました。
北海道・東北:ソ連
関東~近畿:米国
中国地方と九州:イギリス
四国:中国(中華民国)
※東京のみ4ヶ国による共同管理とし、大阪は米国と中国による共同管理とする
という案が検討されました。4ヶ国も集まれば、まとまるものもまとまる由も無く、結局は立ち消えになり現在に至っているのですが、これがもしそのようになっていたら・・・と想像するだけでもゾっとします。特に・・・アノ国とアノ国の属国、植民地にだけはなりたくない・・・。

後藤寿一著 もう一度学びたい 太平洋戦争 西東社刊
元サンケイ新聞社の記者だった著者が、アジア・太平洋を中心に激戦が繰り広げられた太平洋戦争を、史実に沿って分かり易く解説しています。ミギ寄りの論調が特徴の産経新聞ですが、本書ではその傾向も無く、極めて公平な視点から解説しているのが最大の特徴ではないかと感じます。様々な書籍を見て回りましたが、非常に飲み込み易いように解説してくれているのでオススメの一冊です。また、全ページに渡って、1ページに付き1冊、トピックス毎の関連書籍や映画、DVDを紹介し、メディアとの融合を図っているのも嬉しいです。
そしてミュージアム外にでると、屋上や建物の周囲に戦史を飾る兵器たちの姿が。

AH-1 コブラ

米軍の簡易トーチカ

簡易トーチカの使用方法

日本軍の九五式軽戦車。主砲は九四式37mm戦車砲でその他に九七式7.7mm車載重機関銃を2門装備。空冷式のディーゼルエンジンで時速30マイル(48Km/h)、160Kmの走行が可能であったとしています。

第二次大戦末期に登場した、米軍の M24 チャーフィー軽戦車。40口径75mm戦車砲M6 を主砲とし、副武装に12.7mm M2 重機関銃と 7.62mm M1919A4 機関銃を装備。エンジンには、キャディラックV型8気筒水冷ガソリンエンジンを2基搭載し、19トンの車体と4名の乗員で時速35マイル(56Km/h)で走行。

第二次大戦中に米軍が使用していた M3 105mm榴弾砲。射程距離は約7,600m

日本軍が使用していた一式機動四十七粍速射砲(いっしききどう47みりそくしゃほう)。500ヤード(=約460m)離れた地点で3インチ(=約7.62cm)の装甲を貫通することが可能。

1848年に鋳造されたと言われている大砲。1778年、イギリスの海軍士官であり、海洋探検家でもあったJames Cook(クック船長)にがハワイ島を訪れて以来、ハワイのカメハメハ大王らは西洋の技術により作られた兵器に興味津々だったことが、この大砲を紹介するプレート内のテキストに紹介されています。

こちらのミュージアムの売店では、お土産グッズの販売もおこなっていました。
様々なグッズに目を輝かせながら触手を伸ばしておりましたが、旅の浮かれた気持ちで不要なものを買うまいと、厳選に厳選し、購入したのがこちらのピンバッジ。
"Go for broke!"、「当たって砕けろ!」、「死力を尽くせ!」をスローガンとした、米国陸軍の日系人部隊 "第442連隊戦闘団" のものと、星条旗×ハワイ州旗のものを購入。
442部隊といえば、米国の戦史上でもっとも数多くの勲章を受けた部隊として有名ですが、最近ではSMAP 草なぎ剛氏が主演のTV映画で取り上げられたのが記憶に新しいところです。
そしてハワイ州旗の方はというと、ガイドさん曰く、イギリス人のクック船長に由来してユニオンジャックがあしらわれたデザインが採用されているとのことです。
特に442部隊のバッジについては、売店のレジに居た日系人の初老の男性から、「兄ちゃんこれは意味を知って買うってのか?」と訊かれ、「もちろん、そうだ」と答えると、「あんた、通だねー、このピンパッジはここにしか売っていないんだよ」と。身に着けることなんて無いのですが、旅の記念に、そして60余年前の史実に触れた記念に、大切に保管しようと思います。
参考書籍:
後藤寿一著 もう一度学びたい 太平洋戦争 西東社 刊
渡部昇一著 日本の歴史6 昭和編 「昭和の大戦」への道 WAC刊
渡部昇一著 日本の歴史7 「戦後」混迷の時代に WAC刊
清水政彦著 零式艦上戦闘機 新潮社刊
前間孝則著 日本はなぜ旅客機をつくれないのか 草思社刊
竹田恒泰著 日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか PHP新書刊
2011年06月29日
Hawaii
久々の旅行ネタ。ハワイに行ってきました。そういえばここ暫くはロクに旅行にも行けずじまいの忙しさでした。

食事の問題があって、海外旅行は苦手・・・。過去に香港、台湾と行ったきり、ハワイでようやく3箇所目です。とは言え、さすが天下のリゾート地。人生の節目にハワイを訪れる人が多いのも納得。ありとあらゆるものが目の保養になります。こちらは旅の日程前半でお世話になったホテル。

日本からは時差の関係で、夜に出発して到着が夕方なので、結構眠いzzzのです。関空からオアフ島 ホノルル空港経由のハワイ島 コナ空港というルートで到着。ホテル到着後、程なくして日が暮れていきます。
こちらはホテルロビーの様子。とにかく吹き抜ける風が、日本でのそれと違って心地よいのです。湿気を感じないのが一番の原因です。

オーシャンビューで臨むホテルからの景色。テレビの旅番組でしか見なかったような光景が、当たり前のように広がり、地元の人らは何ら珍しそうにもしていないのが印象的です。これが当たり前とは、なんとも贅沢な・・・。

ホテル別館の建物の様子。夕刻の焼けた空と、建物からこぼれた照明の明かりがなんとも絶妙なバランスでキャンバスを染めていきます。

ロビーに伸びる道も照明の照り返しで焼けているようにみえます。周りの木々には野鳥やマングースなど様々な動物が集結し、賑やかな様相となってきます。ハワイ島はホント、自然な雰囲気の場所ですねー。

そして翌日、ハワイ島で有名なコナ・コーヒーを求めてコーヒー園へ訪れてみました。日系人を中心に開拓が進められたというコナのコーヒー園は、世界でも最高級のコーヒー豆が取れるとのこと。

こちらがそのコナのコーヒー豆。

最高級の "PEABERRY" コーヒー豆。フレッシュさを保つことを考えると、ここでしか飲めないんだとか。ありがたく試飲させて頂くことに。うーん、実はコーヒー苦手なのです・・・。

ハワイ島でよく見かけるのがこちらのインスタントタイプのコーヒー。お値段も先ほどより手頃な設定に。

続いて訪れたのが "Black Sand Beach" と呼ばれる火山石によって創られた黒い砂浜のビーチ。写真はビーチの脇にあったワンド。この地を訪れるアオウミガメが観光客の人気。近付くことも距離の制限があったり、ましてや触れることは御法度の様子です。
かなりの確率でカメに遭うことができるとのことで、私も2匹 目撃することができました。

ハワイ島は火山による島なので、見渡す限りが溶岩流でできた岩場になっています。写真の地は30年ほど前に流れ出た溶岩が固まったもの。

この日のツアーだけで実に500Km近い距離を移動。日本と違ってただただひたすらに走り続けることができるので、それほど距離を感じることはありません。

火山噴火による危険性の高いレベル1指定地域ということで、この周辺の土地価格は全米広といえども最低価格とのこと。5,000平米で200万円程度だそうです。。。

ハワイ通のみならず、日本からの観光客にとかく人気の「ビッグアイランド・キャンディース」に途中立ち寄り。クッキーやらチョコやらは、あまり好きじゃないので、ヒマなんだろうなーと思いきや、このお店のインテリアに興味津々。個人的に共感を覚えるセンスだったので、お土産そっちのけで見入っていました。




続いて訪れたのが、ハワイ最高峰、マウナ・ロア山。地球上で最も体積の大きい山だそうです。

標高も高く、火山のために殆ど植物もありません。映画「猿の惑星」のロケ地としても使われたといえば、なるほどと思えます。写真見る感じでも、そんな雰囲気です。

気候が安定していることから、米国を始め各国の観測所が点在しています。

そろそろサンセット・タイムに突入。

いつも見慣れているはずの夕日ですが、雲に沈み行くその様子はまさに幻想的。

辺り一面が太陽の色に染まっていきます。

ここからはあっという間の出来事。雲海に身を沈める太陽は、みるみる内に姿が見えなくなり、突如として夜が訪れるのです。
小さくなった太陽は、なんとなく指で摘めそうな雰囲気すらあります。

卵形の観測所2つが寄り添って雲海に浮かんでいます。

自然が創ったグラデーションは何とも言えない絶妙なバランス。

ガイドさん曰く、この風景は誰がシャッターを切ってもプロのカメラマン顔負けの仕上がりになるとのこと。うん、確かに・・・。

あまりにも簡単に神秘的で幻想的な写真が撮れてしまうので、面白くなって色んなものを撮ろうとしていましたが、何せ寒くて手がかじかみます。それもそのはず、ここは4,200mの高山。いつでもダウンジャケットとカイロが手離せない場所なんだそうです。この日も、ものの数秒手を出しただけで感覚がなくなりました。息を止めてシャッターを切ると呼吸も大変・・・。

翌日のハワイ島観光の様子。トローリーバスに乗って島内のスポットを巡ってみました。

南国リゾート特有の青く澄んだ海。うーん、でも沖縄で見た海の方がもっと青く澄んでキレイだった気がします。

ハワイ島に来てビックリしたのは、殆ど日本人が居ないということ。ハワイなんて日本語でいけるよ!と思っていたのですが、ハワイ島はあまり日本語が通じません。そしてもう1つビックリしたのが、白人やポリネシア人らの多くがタトゥーをしていること。男女問わず、かなりの確率でタトゥーをしています。しかもワンポイントのタトゥーではなく、ゴッツイのを・・・。中には和彫りの刺青で、漢字を彫っている人もいました。

ハワイ島のマーケットの風景。ヒトの形をしたオブジェが可愛らしくって思わずパシャリ。

途中何度も雨が降りましたが、2,3分もすればカラリと、先程までの雨がウソのように止みます。

ハワイといえばやはりカラフルな花。肌の色や人種を問わず、女性はこの手のものが大好き。手に手に見入ってました。

通り沿いのマーケットから一歩奥へ進むと、あまり人気の無い場所へ。建物の塗装も南国らしくカラフルです。

こちらはいきなり話題がぶっ飛び、オアフ島での様子。クルーズ・ディナーに出掛けて、オアフ島を臨んだ風景。
夕日で真っ赤に焼けるオアフの様子が印象的。

クルーズの最中にはフラダンス?アロハ・ダンス?のショーが。踊り子さんの様子がカッコよく思わずパシャリ。

旅行用にと日本で買った Scotch&Soda のウッドランド風ショートパンツと最近マイブームの Aero Postale のTシャツ。エアロ・ポステール はホノルルのショッピングセンターに直営店があるとのことで期待!アバクロよりも圧倒的に安く、デザインが自分好みです。
オアフ島では米陸軍記念館に訪れたので、次回はその様子を投稿してみたいと思います。それでは、アロハ~。

食事の問題があって、海外旅行は苦手・・・。過去に香港、台湾と行ったきり、ハワイでようやく3箇所目です。とは言え、さすが天下のリゾート地。人生の節目にハワイを訪れる人が多いのも納得。ありとあらゆるものが目の保養になります。こちらは旅の日程前半でお世話になったホテル。

日本からは時差の関係で、夜に出発して到着が夕方なので、結構眠いzzzのです。関空からオアフ島 ホノルル空港経由のハワイ島 コナ空港というルートで到着。ホテル到着後、程なくして日が暮れていきます。
こちらはホテルロビーの様子。とにかく吹き抜ける風が、日本でのそれと違って心地よいのです。湿気を感じないのが一番の原因です。

オーシャンビューで臨むホテルからの景色。テレビの旅番組でしか見なかったような光景が、当たり前のように広がり、地元の人らは何ら珍しそうにもしていないのが印象的です。これが当たり前とは、なんとも贅沢な・・・。

ホテル別館の建物の様子。夕刻の焼けた空と、建物からこぼれた照明の明かりがなんとも絶妙なバランスでキャンバスを染めていきます。

ロビーに伸びる道も照明の照り返しで焼けているようにみえます。周りの木々には野鳥やマングースなど様々な動物が集結し、賑やかな様相となってきます。ハワイ島はホント、自然な雰囲気の場所ですねー。

そして翌日、ハワイ島で有名なコナ・コーヒーを求めてコーヒー園へ訪れてみました。日系人を中心に開拓が進められたというコナのコーヒー園は、世界でも最高級のコーヒー豆が取れるとのこと。

こちらがそのコナのコーヒー豆。

最高級の "PEABERRY" コーヒー豆。フレッシュさを保つことを考えると、ここでしか飲めないんだとか。ありがたく試飲させて頂くことに。うーん、実はコーヒー苦手なのです・・・。

ハワイ島でよく見かけるのがこちらのインスタントタイプのコーヒー。お値段も先ほどより手頃な設定に。

続いて訪れたのが "Black Sand Beach" と呼ばれる火山石によって創られた黒い砂浜のビーチ。写真はビーチの脇にあったワンド。この地を訪れるアオウミガメが観光客の人気。近付くことも距離の制限があったり、ましてや触れることは御法度の様子です。
かなりの確率でカメに遭うことができるとのことで、私も2匹 目撃することができました。

ハワイ島は火山による島なので、見渡す限りが溶岩流でできた岩場になっています。写真の地は30年ほど前に流れ出た溶岩が固まったもの。

この日のツアーだけで実に500Km近い距離を移動。日本と違ってただただひたすらに走り続けることができるので、それほど距離を感じることはありません。

火山噴火による危険性の高いレベル1指定地域ということで、この周辺の土地価格は全米広といえども最低価格とのこと。5,000平米で200万円程度だそうです。。。

ハワイ通のみならず、日本からの観光客にとかく人気の「ビッグアイランド・キャンディース」に途中立ち寄り。クッキーやらチョコやらは、あまり好きじゃないので、ヒマなんだろうなーと思いきや、このお店のインテリアに興味津々。個人的に共感を覚えるセンスだったので、お土産そっちのけで見入っていました。




続いて訪れたのが、ハワイ最高峰、マウナ・ロア山。地球上で最も体積の大きい山だそうです。

標高も高く、火山のために殆ど植物もありません。映画「猿の惑星」のロケ地としても使われたといえば、なるほどと思えます。写真見る感じでも、そんな雰囲気です。

気候が安定していることから、米国を始め各国の観測所が点在しています。

そろそろサンセット・タイムに突入。

いつも見慣れているはずの夕日ですが、雲に沈み行くその様子はまさに幻想的。

辺り一面が太陽の色に染まっていきます。

ここからはあっという間の出来事。雲海に身を沈める太陽は、みるみる内に姿が見えなくなり、突如として夜が訪れるのです。
小さくなった太陽は、なんとなく指で摘めそうな雰囲気すらあります。

卵形の観測所2つが寄り添って雲海に浮かんでいます。

自然が創ったグラデーションは何とも言えない絶妙なバランス。

ガイドさん曰く、この風景は誰がシャッターを切ってもプロのカメラマン顔負けの仕上がりになるとのこと。うん、確かに・・・。

あまりにも簡単に神秘的で幻想的な写真が撮れてしまうので、面白くなって色んなものを撮ろうとしていましたが、何せ寒くて手がかじかみます。それもそのはず、ここは4,200mの高山。いつでもダウンジャケットとカイロが手離せない場所なんだそうです。この日も、ものの数秒手を出しただけで感覚がなくなりました。息を止めてシャッターを切ると呼吸も大変・・・。

翌日のハワイ島観光の様子。トローリーバスに乗って島内のスポットを巡ってみました。

南国リゾート特有の青く澄んだ海。うーん、でも沖縄で見た海の方がもっと青く澄んでキレイだった気がします。

ハワイ島に来てビックリしたのは、殆ど日本人が居ないということ。ハワイなんて日本語でいけるよ!と思っていたのですが、ハワイ島はあまり日本語が通じません。そしてもう1つビックリしたのが、白人やポリネシア人らの多くがタトゥーをしていること。男女問わず、かなりの確率でタトゥーをしています。しかもワンポイントのタトゥーではなく、ゴッツイのを・・・。中には和彫りの刺青で、漢字を彫っている人もいました。

ハワイ島のマーケットの風景。ヒトの形をしたオブジェが可愛らしくって思わずパシャリ。

途中何度も雨が降りましたが、2,3分もすればカラリと、先程までの雨がウソのように止みます。

ハワイといえばやはりカラフルな花。肌の色や人種を問わず、女性はこの手のものが大好き。手に手に見入ってました。

通り沿いのマーケットから一歩奥へ進むと、あまり人気の無い場所へ。建物の塗装も南国らしくカラフルです。

こちらはいきなり話題がぶっ飛び、オアフ島での様子。クルーズ・ディナーに出掛けて、オアフ島を臨んだ風景。
夕日で真っ赤に焼けるオアフの様子が印象的。

クルーズの最中にはフラダンス?アロハ・ダンス?のショーが。踊り子さんの様子がカッコよく思わずパシャリ。

旅行用にと日本で買った Scotch&Soda のウッドランド風ショートパンツと最近マイブームの Aero Postale のTシャツ。エアロ・ポステール はホノルルのショッピングセンターに直営店があるとのことで期待!アバクロよりも圧倒的に安く、デザインが自分好みです。
オアフ島では米陸軍記念館に訪れたので、次回はその様子を投稿してみたいと思います。それでは、アロハ~。


