2012年06月29日

Hiroshima: Kure Naval Arsenal 3

広島旅行2日目の午後からは慌しいスケジュールになります。

江田島の海上自衛隊 幹部候補生学校 第1術科学校 を後にし、大和ミュージアム横の「中央桟橋」バス停へ。ここで呉観光ボランティアによる旧海軍の遺産めぐりツアーがおこなわれます。ボランティアでやられているので、ガイド料金自体は無料、移動に掛かる実費のみ負担という良心的な設定。

あまりメジャーな情報じゃないせいか、この日集まったのは私たち夫婦 2名 のみ。ボランティアのスタッフさんは、お勤めをリタイアされた年配の方です。呉のことなら何でもお任せ、といった感じです。


一番最初に連れて行ってくださったのが「歴史の見える丘」。海軍の工廠として栄えた呉において「歴史」といえば造船や兵器製造を置いてほかありません。この日もちょうど大きな艦艇の製造がおこなわれているところでした。


もうちょっとアップで見てみるとこんな感じ。既に外観は出来てきているので、何となく護衛艦のような雰囲気ですが、詳細は分かりません。


大きな艦艇の製造がおこなわれている横には、「大和のふるさと」、「アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド 呉工場」の文字が。そう、ここは日本が世界に誇った最強の戦艦「大和」の生まれ故郷。写真のドックがまさにその場所だそうです。現在の海自の護衛艦が全長 160m 程度で、山みたいに大きく感じますが、戦艦大和の全長は更に 100mも大きく、263m・・・、1枚目の写真の2倍とはいかないまでも、それに近いスケールの大きさです。
70年ほど前に造られた船とは到底思えないその規模は想像を絶します。

日本最大の海軍工廠を擁した呉市では、昭和18年の最盛期、人口40万人を数えたと言います。現在、平成24年5月末に呉市が公表している人口統計が約24万人であることと比較すれば、如何に当時発展した、大きな都市であったかがうかがえます。

ガイドの方も「当時の呉の人は、大和の製造に何らかの形で携わっていた」と話されていました。「兵器産業」と言えば聞こえが悪い側面があるのかもしれませんが、こうして地域の経済や産業、社会活動に大きな影響を与え、防衛基盤を築くことができるという点は、今の日本の社会においてもしっかりと直視し、そのあり方を見直す必要があるんじゃないかと感じます。


戦艦大和の生誕地を見ることができた後に向かったのがこちら、入船山公園。旧・呉鎮守府 司令長官の官舎や、郷土館、歴史民俗資料館(近世文書館)等があります。日本海軍史、呉の歴史に触れるには最適なスポットです。


ゲートで入館料を支払い(ぐるりんパスならスルー)、真っ先に目に入るのがこの時計台。呉海軍工廠の造機部屋上に設置され、終戦までの間、呉工廠と共にその歴史を刻んできた時計。日本最大の海軍要所である呉が激動だった時代を知る物言わない証人―、そうして見詰めると感慨深いものがあります。


旧・呉鎮守府司令長官官舎。明治38年に建築された木造平屋建てで、和館と洋館を接合した建物となっています。以下の館内写真は、許可を頂いて撮影しています。


正面の玄関扉には、刷りガラス部分に海軍を表す「イカリ」がデザインされています。


黄金色に輝く戦艦大和の模型が展示されています。


こちらは洋館部の応接室。品格と豪華さの漂う雰囲気。


洋館部での食事の様子を再現。壁面は全て金唐紙(きんからがみ)で出来ています。


和館の縁側を望む風景。
祖母の家がこんな雰囲気だったなーと、どこか懐かしい雰囲気に感じます。


和館の館内は伝統的な和風で統一。部外者の侵入を把握し易いよう、ずっと向こうまで見通せるような造りにしているそうです。


こちらは隣接する「呉市歴史民俗博物館」という別の館で紹介されていた金唐紙の絵柄が深く掘られた版木棒。


こちらは金唐紙研究の第一人者、金唐紙研究所 代表 上田尚 (うえだ たかし) 氏 により復原された金唐紙。


かなりタイトなスケジュールですが、タイムリミットにギリギリで見終えることができたので、次は「アレイからすこじま」でおこなわれる海自の護衛艦・潜水艦 一般公開にダッシュ!!
Posted by ahahamaster at 16:32│Comments(0)
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